停電騒動
朝起きて、パンをオ−ブンで焼く。
私の部屋の照明をつける。
誰かがドライアーを使う。 停電する。この症状は1年間、ほぼ毎日繰り返された。
そして一度ブレーカーが落ちると
ちょっと電気を使ってもすぐにまた落ちる。だから、いつもひやひやしながら
電気を使ってました。ただ、一番最初の停電は、
(ブレ−カ−が落ちただけだけど)
ホントに停電だと思った。
そしてどうすればいいのか、わからず
私たちのとった行動は・・・・隣の家に助けを求める。これだった。
そして、隣に助けを求めにいったのだが、
一体何語で話せばいい?
何語も、全く通じなかった。エレクトリック ブロークンとか、言ってしまったように思う。
しかし、隣は電気がついていることを確認した私たちは、
ブレ−カ−が落ちているだけだと、知ることができた。
しかし、この家のどこにブレ−カ−があるのだ?
ブレ−カ−って日本と同じような形?家のどこを探しても、日本で見る
ブレ-カ-のようなものはなかった。再度、隣人に助けを求め、
無理やり隣の少年を我家へ連れ込み、
大家に電話をしてもらった。
今思えばなんて強引な・・・と思うが、
当時はそんなことでもしなければ、
一生電気のない生活を送ることになるのだ。
これくらいのことはやらなければ生きていけない。そして、ブレ−カ−というか、
電気の元のボタンを家の外で発見。
こんなに広い家なのに、回線分かれてへんのかい!
と思わず、言ってしまうくらい驚いたが、
そんなわけで、1年間の間にあのボタンは
きっと・・・・1000回くらい押したように思う。この日、停電騒動のせいで
学校を無断で遅刻してしまい、
学校に着くと、
先生がものすごく悲しく寂しい顔をして
教室で一人で待っていた。あの顔を見たとき、たとえ停電しようが
何が起ころうが、二度と遅刻はするまいと
心に決めた3人でした。
 
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